『世界に一つだけの花』と仏教
誰もが知っている、槇原敬之さん作の「世界に一つだけの花」。
カラオケでも、最後にみんなでよく歌われる曲のようです。
……………………………………………………
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ 好みはあるけれど
どれもみんな きれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中 誇らしげに
しゃんと胸を張っている
それなのに 僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で
一番になりたがる?
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
困ったように 笑いながら
ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた
その人が抱えていた
色とりどりの花束と
嬉しそうな横顔
名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた
誰も気付かないような場所で
咲いてた花のように
そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
小さい花や 大きな花 一つとして
(小さい花 大きな花)
同じものはないから
No.1にならなくても いい
もともと特別な Only one
ララーラ ラーララ ラーララ ラーララ・・・・・
…………………………………………………………
歌詞もメロディーも、ジーンとくるいい歌ですね。
№1にならなくてもいい、僕らは一人一人違う種を持つ、世界に一つだけの花なのだから。その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいい。メッセージがストレートに心に入ってきて、生きる勇気が湧いてきますね。仏教にこんな言葉があります。
「黄色黄光 青色青光 赤色赤光 白色白光」
「おうしきおうこう しょうしきしょうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう」
と、読み方はちょっと変わっていますが、これは『阿弥陀経』という仏典に説かれている釈迦の言葉で、極楽の蓮池に咲く蓮の花について、おっしゃっています。意味は、
「黄色い花は、黄色い光を放ち、
青い色の花は、青い光を放っている、
赤い色の花は、赤い光を放ち、
白い花は白い光を放っているのだよ」
と、今の科学でいえば当然といえば当然のことなのですが、釈迦はここで何を言わんとされているのでしょうか。
人間は生まれながらに差別があります。男女、美醜、体の強弱、才能、貧富などの違いは、避けられない現実。もちろん後天的な努力や教育、環境によって克服できる事柄もありますが、とにかく誰一人として「同じでない」ことだけは確かです。
今日の日本は「格差社会」と問題にされますが、中国の農村と都市部の格差はより深刻ですし、内戦の絶えないスーダンでは子供まで兵士としてかり出され、見せしめのために敵に両手を切られることもあるそうです。痛ましいと言うほかありませんが、これではまるで、「どこで生まれるか」によって、一生の幸・不幸が決定する、とさえ思われます。同じ人間なのに、なんでこんなにも違うのか。
その点、日本に生まれた私は、まだましなのかなあ……とは一時思いますが、やっぱりあの人と比べると、私はスタイルがちょっと…、才能がない、あれもない、これも劣っている、やっぱり私はだめなんだ……。と、ついつい、他人との「違い」が気になって、嫉妬したり、へこんだり。それで無理をして整形したり、キリのない競争をしたり。せめてあの人と同じじゃなきゃ、と悩みが尽きないのが私たちではないでしょうか。
ところが、そんな違いに関係なく、ひとりひとりが輝けるんだよ、そのまんまで、「人間に生まれてよかった」と喜べる世界があるんだよ、才能や特技を発揮して自分も他人も幸せになれる素晴らしい道があるんだよ、と訴えておられるのが、先のお釈迦さまのお言葉なのです。
黄・青・赤・白と、花の「色」はそれぞれ違いますが、「光」を放っていることは共通しています。差別あるままで、平等。常識では両立し得ない二つが、同時に成り立っている、これが仏教の説く「差別即平等」という究極の幸せなのです。
真に輝ける花に、なりたいものですね。
| 固定リンク


コメント